自分の死は自覚できない
自分以外の人が死んだことは認識できます。ところが、自分の死は自覚できないのです。
自分の命が限界にきていることは認識できても、自分の死は自覚できません。
ようするに、自分が死んだことを、本人は知ることができないのです.

地球の歴史がいくら永くてもその時間を永いとは感じないのです。人間にとって一番永い年月は自分の生涯です。死ねば、時間のない世界に戻りますが、その世界のことは想像するしかないのです。

どのように考えるのも自由です。それだけに、逆に難しいのかもしれません。
考えて分かる問題ではないのですから、正解を見つける方法はありませんが、どうでもよい問題とも思えません。
むしろ、誰にでも関心のあることです。
死後の世界をどう考えるかは、現実の生き方にも関係します。

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# by giron-gym | 2011-12-30 11:30 | 公開議論の場
拉致問題を強調すれば国益を損う
日本では拉致問題を取り上げることが多いですね。
拉致は北朝鮮にとって非難されても仕方のない行為です。しかし、それを日本が強調するとマイナスになります。
他国の恨みを買う行為は利巧とはいえないのです。まして北朝鮮は隣国です。
日本が北朝鮮に迷惑を掛けたことがないならまだしも、北朝鮮の人はそうは思っていないのです。
日本が拉致問題を非難すればするほど、自分たちの受けた被害を思い出すでしょう。しかもそれは何十人ではなく国家として受けた被害ですから、規模が違います。
拉致を非難しても何の効果もありません。ただ、日本に対する恨みが深くなるだけです。
北朝鮮以外の国も、日本人の感覚を不思議に思っているのではないでしょうか。

北朝鮮が共産主義を選んだのは、それしか選択できなかったからです。
北朝鮮は非常に困難な立場に追い込まれているのです。
国の方向は、そう簡単に変えられるものではありません。北朝鮮の国民の大部分は共産主義を正しいと信じているのです。

ソ連邦は解体しました。中国の経済は自由化の方向です。しかし、共産主義に対する評価は、まだ定まっているといえません。中国の中途半端な姿勢もここに原因があるのです。
中国も北朝鮮も、先の見えない政治です。

道理を間違えると目的も合理性も定まらないのです。これは世界全体に言えることです。
無用な軋轢を避けるためには、世界共通の道理を確立するしかないのです。

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# by giron-gym | 2011-12-25 21:28 | 自己紹介
忠臣蔵
日本人は忠臣蔵が好きですね。それは、忠義などという価値観が否定された第二次大戦後も変わらないから不思議です。

討ち入りに参加しなかった者には不忠者という汚名。討ち入った者は全員が切腹という、悲惨な結末。
当時、不忠者という汚名は武士としては甘受しがたい恥辱です。しかし、敵討ちに加わるとなると、死を覚悟しなければなりません。

事件の発端である、殿中で刀を抜いて切りかかるという行為は、弁護の仕様がありません
ようするに、敵討ちが正しいか正しくないかでなく、命よりも武士の意地を貫いた行為を、人びとは美しいと感じて賞賛しているのです。

それが、今の時代に至っても続いているのですから、義士たちの行為を独り善がりの跳ね上がった行為ということはできません。彼ら独特の価値観でなく、日本の社会の価値観を背負って、彼らは敵討ちを敢行したと考えるべきでしょう。
そして、忠臣蔵が今も人気があるということは、今の社会の価値観はその当時とあまり変わっていないということでしょうか。

さて、どちらを選んでも苦しい赤穂浪士のような立場に立てば、だれでも悩まずにはいられません。生きるほうを選べば卑怯者というレッテルが貼られることは確実です。といって、簡単に命を捨てられるものではありません。
どちらを選んでも幸福とはいえないのです。努力しようにも、幸福への道はないことになります。
幸福への道を閉ざしてはいけないのです。

自分の利益をかえりみないことが、はたして美徳でしょうか
これを、是とするか非とするかによって議論の方向はまったく違ってくるのです。

共通の利益について考えるのが政治です。
自分の利益が認められてこそ、他人の利益も認めることができるのです。

民主主義の可能性は科学と常識がカギを握っています。科学は分かり易いのですが、常識には曖昧なところがあります。
何が目的か。これがはっきりしないと議論はまとまり難いのです。

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# by giron-gym | 2011-12-19 11:07 | 公開議論の場
人間の時間
Ⅰ億年後に巨大な隕石が地球に衝突し地球が吹っ飛ぶことが確実になったら今の私たちはどんな反応をするのでしょう。
だれでも、これは大変なことだと思うでしょうね。
地球が誕生してから46億年といわれています。一億年後といえば近い将来のような気もします。
しかし、実際は何の影響もないのです。一億年後に人間が生きているという、可能性は定かでもないのです。その10分の1の1000万年にしても同じで、また、その10分の1の100万年ても、短い年月とはいえないのです。
10万年や100万年には永い年月という実感があるのですが、億年ということになると実感から離れてしまいます。光の速度で何億年と離れていると観測もあやふやです。地球上でも理論的なことが実験の結果と違うことは珍しいことではありません。。理論的には一応そうなる、というだけのことです。科学とは別に考えなければならないと思います。証明できないことは科学といえないのです
天文学における理論はロマンを作り出します。しかし、実際にそれが正しいということは証明できないのです。
いかに理論的に正しいように思えても、それは、決定的といえません。おまけに、現在の生活とは何の関係もないのです。

現実の世界は問題山積です。現実の問題が解決できてから、余裕で遠い世界のことを考えれば、ロマンです。

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# by giron-gym | 2011-12-16 13:19 | 公開議論の場
時間のない世界
時間は私たちの生活の基本的な要素です。生と時間は切り離せません。
しかし、地球が出来て、そこに人が住むまでに何十億年という時間が経っているのですが、永かったという自覚はだれにもありません。
死ぬということは時間のない世界に帰ることです。
自分の時間は生まれてから死ぬまでです。

生きるということの意味を正しく理解することも難しいのですが、死んでからのことは分かりようがないのです。
自然は共通ですが、自分という個性があって自分の世界が生まれるのです。
自分には、世界の中心は自分という意識です。

人間は感情や意思を言葉や文章で伝えることが可能です。お陰で、自覚の程度は他の動物とは格段の違いです。しかし、分かりえないこともあるのです。

社会に秩序は必要です。しかし個性も大事です。社会と個性を正しく繋ぐのが議論の役目です。
死んでからのことは分かりようがないのですが、その世界をどう考えるかは、意外に、社会の秩序や私たちの生活に影響を及ぼすのです。

理詰めで答えは出ないのですが、生きることにプラスになる答えを見つけるのが正しと思うのです。


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# by giron-gym | 2011-09-27 16:49 | 公開議論の場